安永の書上という古文書の中で畑を荒らす動物としてイノシシと鹿の被害が訴えられています。明和9年(1772年)加賀藩より「悪事に使用しないこと」、「又貸ししないこと」を条件に口郡(羽咋郡市・鹿島郡)に4挺の鉄砲が貸し出され、イノシシ退治に取り組んでいます。
その6年後にはイノシシと鹿の皮が300枚売りに出されたとの記録もあることから、当時はかなり多くのイノシシやシカが生息していたことが伺えます。時は下って明治から大正にかけ一度絶滅したとされるイノシシですが、平成になり再び猛威を振るっています。
猛威を振るうイノシシ。羽咋市で増えたのはつい最近のことです。市内では、平成24年、しばらくぶりにイノシシ1頭が捕獲されてから、たったの5年で年間300頭を超えるイノシシが捕獲されるまでになりました。
農家の皆さんが、農地や農作物を守るためにやむをえず捕獲しているというのが現状です。今後はもっとイノシシが増えてしまうかもしれません。
能登半島でも特に羽咋市近郊は獅子舞が盛んで、集落では稲刈が終わると、お祭りで獅子舞が披露されます。集落によっては、田畑を荒らす獅子を退治して五穀豊穣を祝うという意味でお祭りの最後に「獅子殺し」を舞います。
獅子舞の原型はイノシシではないということですから、「獅子殺し」=イノシシ退治とは言い切れませんが、江戸時代にさかのぼれば、多くのイノシシが生息していた地域でもあるため、無関係とは言えないかもしれません。